2024年09月05日
桃太郎伝説ゆかりの地を巡る旅、鬼ヶ島など
8月18~19日にかけて、桃太郎伝説ゆかりの場所を巡る旅に家族で行ってきた。
桃太郎伝説ゆかりの地は全国にいくつかあり、香川県高松市もその一つ。
まず向かった先は、高松市の北西部にある鬼無町だ。
鬼がいない町と書いて、「きなしちょう」と読む。
鬼無町でまず最初に訪ねたのは、おじいさんとおばあさんの家があったという場所。
つまりこの場所で、桃太郎は桃から生まれたというわけだ。
そしてこの地を流れる本津川(ほんづがわ)のこの場所が、おばあさんの洗濯場だという。
つまり、ここが“どんぶらこ”の場所ということである(確定)。
一方、おじいさんが芝刈りに行っていたのがここ、柴山(しばやま)である。
場所は、次に紹介する桃太郎神社のすぐそばにある。
桃太郎神社に到着。
実はこの桃太郎、紀元前200年ごろに実在したと言われる7代孝霊天皇の皇子、
稚武彦命(わかたけのひこのみこと)がモデルとなっている。
そして鬼は、瀬戸内海の女木島を拠点にしていた海賊のことである。
稚武彦命が讃岐に訪れた際、この地の人々が海賊の悪行に困っていると聞き、
雉が谷(香川県高松市鬼無町)、猿王(香川県綾川町)、犬島(岡山県岡山市)の勇士を従えて海賊を征伐したとされている。
桃太郎と言えば岡山、と思っている人は多いと思うが、実は岡山出身なのは犬だけなのである(大確定)。
続いてやって来たのは鬼ヶ塚。
鬼ヶ島の戦いで桃太郎に負けた鬼たちはこの地で再度戦いを挑み、また敗北を喫する事となる。
その鬼たちを葬り供養したのがここ、鬼ヶ塚だ。
そして平和になったこの地は、鬼無の里と呼ばれるようになったという。
翌日、高松港からフェリーに乗って女木島(めぎじま)へ。
そう、この女木島こそが、鬼ヶ島なのである。
島に上陸後、バスに乗って鬼ヶ島大洞窟へ。
ここは桃太郎伝説の鬼のすみかとされる洞窟であり、1914年に発見されたということだ。
洞窟の中の様子。
この洞窟は広さ4,000㎡、奥行き400mとなっており、15分程度で回ることができる。
とくに見どころが無いというのが正直なところ。
バスの時間もあるので、早々に戻ることにした。
浜辺に戻ったあとは海水浴場でムスメと遊び、帰路に就いた。
久しぶりの家族旅行では存分に羽を伸ばすことができ、良い息抜きとなった。
また来年辺り、家族三人で旅行に行ければと思う。
まず向かった先は、高松市の北西部にある鬼無町だ。
鬼がいない町と書いて、「きなしちょう」と読む。
鬼無町でまず最初に訪ねたのは、おじいさんとおばあさんの家があったという場所。
つまりこの場所で、桃太郎は桃から生まれたというわけだ。
そしてこの地を流れる本津川(ほんづがわ)のこの場所が、おばあさんの洗濯場だという。
つまり、ここが“どんぶらこ”の場所ということである(確定)。
一方、おじいさんが芝刈りに行っていたのがここ、柴山(しばやま)である。
場所は、次に紹介する桃太郎神社のすぐそばにある。
桃太郎神社に到着。
実はこの桃太郎、紀元前200年ごろに実在したと言われる7代孝霊天皇の皇子、
稚武彦命(わかたけのひこのみこと)がモデルとなっている。
そして鬼は、瀬戸内海の女木島を拠点にしていた海賊のことである。
稚武彦命が讃岐に訪れた際、この地の人々が海賊の悪行に困っていると聞き、
雉が谷(香川県高松市鬼無町)、猿王(香川県綾川町)、犬島(岡山県岡山市)の勇士を従えて海賊を征伐したとされている。
桃太郎と言えば岡山、と思っている人は多いと思うが、実は岡山出身なのは犬だけなのである(大確定)。
続いてやって来たのは鬼ヶ塚。
鬼ヶ島の戦いで桃太郎に負けた鬼たちはこの地で再度戦いを挑み、また敗北を喫する事となる。
その鬼たちを葬り供養したのがここ、鬼ヶ塚だ。
そして平和になったこの地は、鬼無の里と呼ばれるようになったという。
翌日、高松港からフェリーに乗って女木島(めぎじま)へ。
そう、この女木島こそが、鬼ヶ島なのである。
島に上陸後、バスに乗って鬼ヶ島大洞窟へ。
ここは桃太郎伝説の鬼のすみかとされる洞窟であり、1914年に発見されたということだ。
洞窟の中の様子。
この洞窟は広さ4,000㎡、奥行き400mとなっており、15分程度で回ることができる。
とくに見どころが無いというのが正直なところ。
バスの時間もあるので、早々に戻ることにした。
浜辺に戻ったあとは海水浴場でムスメと遊び、帰路に就いた。
久しぶりの家族旅行では存分に羽を伸ばすことができ、良い息抜きとなった。
また来年辺り、家族三人で旅行に行ければと思う。
Posted by まこっさん at 15:53│Comments(0)
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